地球と人間と、その星の生きものすべてに対する、かぎりない「慈しみ」 - 星川淳 INNERNET WORKS

地球と人間と、その星の生きものすべてに対する、かぎりない「慈しみ」

樹々金魚(ブログ「NY金魚」制作者 / アーティスト)

 

まず、著者の前作である「ベーリンジアの記憶 <http://hoshikawajun.jp/review/beringia.html>」として改稿される前の「精霊の橋」を読み、そのままつづきのような流れで「タマサイ」を読ませていただいた、という幸運に感謝します。

 

ふたつの物語は、ユキという共通の名の現代日本女性の「タマシイ」を通して、過去生とその仲間たちの意識がつながっていくという共通点をもっています。
「精霊の橋」ではベーリンジア陸橋を越えての陸路、かたや「タマサイ」では太平洋という広大な海路で、日本周辺の人類が「亀の島」である北米大陸まで移動する、という壮大な連続物語として、ぼくの心のなかに大きな場所を占めつづけています。

 

アメリカに移住して30年余のぼくの意識を創っているのは、ときどき帰郷してかいま見るあのなつかしい故郷の国と、この巨大な亀の島国とのイメージの往復運動です。そのあいだには世界最大の大洋があり、洋上数十メートルの高さで、一晩かけてスイスイと飛びつづけている夢をよく観ます。でもいつまで飛んでもなかなか日本には着きません。
永く屋久島に住まれ、やはり在米経験の豊富な筆者が、さらなる大陸での長時間のリサーチを経て産み出された、この小説の心髄は実に衝撃的ですばらしいものでした。

 

ネイティヴ・アメリカンの人びとが、自分たちの住む大陸のかたちを「亀」のようだと認知できたのは、宇宙人のUFOから地球を観たからではないか、などと軽薄な発想をしていましたが、よく考えたらタマシイが宇宙のむこう側に還っている夢の時間帯には、超鳥瞰の視覚があって当たり前ですよね。遅まきながらこの小説で改めて悟りました。もはや科学では説明できなかったことの解読が、この著者のような鋭いタマシイに起こる直感から、急速に進んでいると思います。

 

海の惑星=地球の、最大の大洋=太平洋をとりまく小さな人間たちが、あるいは氷の山を越え、あるいは小さな舟に乗り、その太洋の両端、そのなかに浮かぶ島々、を結んでいく。ひとの存在は小さくても、それらの行為は、人間がこの星全体と共存するための、大きな足跡だったということを、何度も再確認しました。小説「タマサイ」の主人公は、そこに出てくる数々の魅力的な登場人物をさしおいて「太平洋」ではないかな、と思っています。

 

読んでいるとき頭上に、リヴィングの部屋全体に入り切れないほどの大きさの(細かく波打つ海水に満ちた)地球儀があらわれ、種子島、アラスカ、ハワイ、屋久島、南北米大陸、そしてスペインやポルトガルを含むヨーロッパ大陸のイメージまでが、ターコイズの石の行方とともに、その場所を指し、転々と綺羅綺羅と目眩きます。
時間の方も、16世紀と現代の二本立てだったものが、ボートの素材とそこに埋め込まれた翡翠などによって、あっというまに一万五千年まで遡ってしまいます。

 

極大の宇宙と極小の人間を含めた地球の生きものが、どこで交わっているのか、とても深く考えてしまいます。舟のなかや、飛行機のなか、島のなかのシーンが多いゆえに、極大・極小のあいだにある「人間社会」の描写が、従来の小説のように具体的にどろどろとは書かれていないことが、あるいは小説としての欠点になるのでしょうか。ぼくはそうは思いませんが、従来の小説のおもしろさを踏襲して読むとそんな感覚に至る人もいるかもしれない。なにかが新しい「ポスト3-11」のイメージを持ったストーリーだと思います。

 

小さな舟のなかで、たどり着いた陸地で、新しい人間たちと出会い、諍い、ときに殺し合い、または仲良くなり、新しい家族をつくる営みも描かれています。すべての現代人の生き様とまったくおなじなのですが、筆者の観点には、その都度「タマシイ」が入っている引き出しを開けてなかをかいま見せ、実はこういうことなんだよ、と読み手に迫る気迫が感じられます。伴侶とめぐり会い、子孫をつくり、かれらを護りながらジャーニーを続ける本質的な意味が、ぼくたちの日常の営みとシンクロします。

 

登場人物は、人種・環境・時代の異なった実にタサイな「タマサイ」を連想します。そして、冒頭部で太平洋をたゆたう小さな舟に、サカマタと呼ばれる海の神様の化身であるシャチたちが集まり、なかの人間を導き、救うというエピソードに心打たれます。この星に住む生きものすべてが、海という住処で繋がっていることを強く確認できます。言葉の端々に、放射能や現代文明の愚かしさに犯されはじめたこの海を気遣う、筆者の祈りのようなものも伝わってきます。

 

シャチや熊や杉の樹、そして人間以外に、特別な生きものはあまり登場しません。それでも筆者の、地球と人間とその星に住む生きものすべてに対する、かぎりない「慈しみ」を、いまでも深く感じつづけています。イカのようにちっぽけな人類のひとりひとりが、地球という美しいブルーに輝く大きな住処に住んでいます。ぼくも日日、確信を深めているように、この星は大きなひとつの意識共同体なのです。地球星は海という美しい藍染めの衣装を纏ったひとつの生きものなのです。ひとりでも多くの方と、このような体験を共有できることを幸せに感じています。

 

遅読ゆえに、書評が大幅に遅れたことをおわびします。見本版を読まれたたくさんの名批評に圧倒されつつも、あと出しジャンケンと言われるのが癪なので、書評はまだほとんど読んでいません。これから皆さまの感想を読ませていただいて自分との共通項を見つけたら、さらにハッピーになることでしょう。筆者と、これからこの小説で繋がることになる仲間たちと、一足お先に、心からありがとうございました。

 

金魚

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