魂を解き放つ旅
深尾葉子(大阪大学、魂の脱植民地化研究、里山のグローバル・マネジメント研究)
まずこの物語は幾重にも魂を解き放つ仕掛けがしつらえてあり、読んでいるあいだじゅう、空間的にも、時間的にも、そして社会的通念的にもほかにない自由と解き放たれる感覚を味わうことができました。
まず時間の旅。二つの物語の、現代と500年前だけでも普通は十分歴史のロマンになる距離なのに、さらに一気に7千年前につながったり、1万年前、数十万年前と生命の繋がりの中に不思議なワープを遂げる。でも生命は、そして控えめにいっても人類はそういう繋がりの中で、命をつないで、空間を移動して、数限りない奇跡をくぐりぬけて現代に至っている……そのことを終始感じさせてくれる。
そして次に空間の旅。この物語を構成する我々のはるか祖先の人類は、あるいはユーラシア中央部から、あるいはスンダランド経由で、琉球弧や日本列島、そしてベーリンジアという北のルートに加えて、黒潮に乗って、北米西海岸、南北アメリカ、ハワイまで、数千キロの旅路をついでゆく。それを引き起こすものは人々の争いだったり、たゆまぬ生存と交換のための挑戦だったりするのだけれど、まるで何かに運命づけられたかのように、導かれ、命をかけて大陸を、海を越えてゆく。
これは現代国民国家という閉じ込められた世界の相対化。
そして次に相対化されるのは、現代という日常世界がもたらす「社会通念」や「しがらみ」。歴史を生きてきた人類が、それぞれの人生において、どのようにつながり合って運命づけられて生きてきたかを感じさせてくれる。現代の「婚活」とか「家族」「家庭」による種?の再生産というちょっと息の詰まる世界の相対化。物語に登場する過去の人類は、時に命を奪われ、時に略奪され、別れを余儀なくされ、そのなかで男女が結び合って血を交わらせる。その瞬間瞬間の真実と人々の生きた感情が大きな歴史の流れの中に解き放たれる。
そして最後は、「文化人類学者」とか「解釈」とかいうレベルの「語られ、立証される歴史や知識」の相対化。それが登場人物の語りと、生きるための激闘の中で相対化されてゆく……。そして「白い人々」が持ち込んだ鉄砲や核といった「技術」が人々を暗黒の世界に誘う現代の相対化。そうした固定概念から解き放たれる。
これだけ紐を解き放ってもらえれば、もうその物語の世界で安心して、自由に心を遊ばせることができ、心地よい一時を過ごして現実世界にもどることができる。そこには、魂のほとばしる「生きる身体」と「知性」が躍動する。この作品でまたしても、のびやかな心の旅をさせていただきました。
レビュー
- タマサイ
戦の時代の冒険と愛 - タマサイ
読者や社会があたかも当然と思っていたことを揺さぶる - タマサイ
始まりから、タマサイの世界にどっぷりとはまりました - タマサイ
SF(ソウルフィクション)というジャンルができちゃうかも - タマサイ
限りなくフィクションに近いノンフィクション - タマサイ
現代人の「ふかいやまい」を照らす - タマサイ
私たちの果てることがない、旅路の行く末を思う - タマサイ
だからこそ「今」、どう生きていくのか… - タマサイ
想いを馳せることの素晴らしさを、改めて感じうる物語 - タマサイ
時代の先端は、まさにターコイズに進みつつあるのだ - タマサイ
随所にはっとする描写、魂に染みる言葉 - タマサイ
魂を解き放つ旅 - タマサイ
この物語をベースにした舞台をみたいと思う - タマサイ
わたしのロマンも、「タマサイ」に乗って太平洋を漕ぎ渡った - タマサイ
ひとの想像力を高く羽ばたかせる - タマサイ
地球と人間と、その星の生きものすべてに対する、かぎりない「慈しみ」 - タマサイ
本当は現在・過去・未来を同時に生きてるんだ - タマサイ
魂の平和を希求する精神に貫かれている - タマサイ
自分の中に眠っている力がふつふつと呼吸を始める - タマサイ
いずれ共に故郷に帰れるかもしれない - ベーリンジアの記憶
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