タマサイ - 星川淳 INNERNET WORKS

私たちの果てることがない、旅路の行く末を思う

巻京子(木のいえ設計室くわくわ主宰、建築士)

 

ずっと前のテレビ番組に、「グレートジャーニー」というドキュメンタリーがあった。

 

数万年前、アフリカを起源とする人類の発祥地から、南アメリカ大陸までどのようにして人類が移動していったのか、この作品ではそのルートを遡り旅をする、というものだった。これは、陸続きだったベーリング海峡を通っての人類の移動のルートだ。

 

「タマサイ」に登場する、リュウタ、チマキナたちはそのルートとは別に、太平洋を渡り、移動した人々のことが描かれている。
すでにヨーロッパの国々には航海の技術が発達していた同時期、主人公たちのそれは海流まかせの旅である。

 

種子島、屋久島、蝦夷、ハワイ、アラスカ、北米タオス、沖縄、広島。
不思議な縁で出逢って行く人々の、たどる道のりが興味深い。

 

学術的な好奇心も、スピリチュアルなつながりも、ここに登場する人々は矛盾を感じることなく、ひとつの物語を証明しようと試みて行く。

 

自然の流れ、時の流れ、人の流れは、現代の私などには想像もつかぬ程に荒唐無稽である。
星をたよりにまだ見ぬ国を目指し旅立った者たちの生き残りが、巡り巡って、彼の地に根をはり、そしてまた移動をする。そういうことの繰り返しが、今この地球を作ってきたのだと思えば、国境や領空権や領海権などなんの意味もない。

 

亀の島と呼ばれる北アメリカの<青い沢の民>はこう考えていた。
鉄砲を使う白い民たち、黄金をうばうために大陸を搾取して行く白い民たちのことを。

 

白い民の魂が病んでいるから、魂が自由ではない。
不自由な魂は、見えない檻から出ようとして理不尽な考えや行動に流されやすくなる。
命を敬わないことは、
心が苦しみに歪んでいるしるしだ。

 

シャーマンのレタが言う。

 

「血は混じり合ってかまわない。
その方が大切なことを伝えやすかったら、赤い民と白い民の区別などなくなってもいい」
「どんなに手間暇がかかっても、白い民をこの大地で生まれ変わらせることが私らの使命なんだよ」

 

この物語の500年後の現代、少しは何かが変わったのだろうか?
未だ、金と欲と権力にうつつをぬかす一部の人間のために、多くのヒトが苦しみ続けてはいないか?
そして、魂はいまだに病んでいるではないか?
どこに、救いの道はあるのか?

 

遥かな旅の物語を読み終えて、あらたに、私たちの果てることがない、旅路の行く末を思うばかりである。

 

 

だからこそ「今」、どう生きていくのか…

吉岡ひなた(イベントプランナー)

 

『わたしはあなた方の足跡さえも洗い流した。………だが、あなた方が出現の記憶と意味を保っていれば、いつかこれらの足跡がまた浮かび上がり、真実を告げてくれるときがくるだろう』

 

まるでこの「ホピの書」の言葉を知っているかのように、大昔の人々の過去の足跡をたどり心と体で真実を求めながら旅していく人々。時を越え、巡り会えることを信じて壮絶な旅を続けるその姿に、この物語の壮大さと力強い美しさを感じました。
そして過去だけでなく同時に未来にもこの物語は繋がっていて、私達もそこに含まれるという事に気づかされた時、気が遠くなるような果てしなさに広がるだけ広がった先に、凝縮された「今」という一瞬を同じくらいに深く想いました。

 

『西の果てに行けば、東の果てに出会う』

 

時間も地球と同じですね。旅の先に人々は人と出会い、時と出会っている。巡りめぐる循環。でもその球の中心に在るのが『うやまう心』であり『白い光の柱』であり、『美しさそのもの』であれば、大陸はまたいつか浮かび上がってくる…そして『青い石が人々の心に語りかける時代』が、今まさにやって来ている、ということなのでしょうか。

 

『命運を賭けて白い民の中へ送り込む最初の使者が、全て異人だという事』

 

血が混じる必要性…福島や東北、東日本から沖縄に人々がやって来て血が混ざり始めている事、オリンピックで世界中の人々が日本にやって来て血が混ざり合う事…
その未来へ向かうシナリオも、白い民とその病を患った全ての民の病を治すために今、始まってきているのかもしれないですね。
広島と長崎がそうであったように…
 原爆から生まれた人工黒曜石と、火山から生まれた黒曜石。
その存在の在り方や使われ方は人の心次第であり、生まれた意味もまたそれによって変化していくものでもありますね。素晴らしいキーワードだと思いました。

 

『存在の光と影』『ブラックホールの極点にホワイトホールが開く。そこにできた次元の穴。核兵器も戦争もない未来に通じた窓』

 

 次元の穴を開くために起こるそれらは、何をどうやっても起こるという現象であり、防ごうとしてもどんな形にでも変わってやって来る。だから私達は何をしてもしなくても一緒と言いたいのではなく、ただそんな現象は起こるということ。ようは起こってしまったことにどう対処するかの人々の心の試しで。穴が開いたその時、私達がどう動くかに未来がかかっている。
だからこそ「今」、どう生きていくのか…そういうメッセージに感じました。

 

 

想いを馳せることの素晴らしさを、改めて感じうる物語

荒木太朗(脚本家・舞台演出家/独身)

 

偶然にも同じくこの秋に、本作の登場人物が恋焦がれた若狭の物語を舞台化する私にとって、この作品との出会いもまた、目指すものを引き寄せることで起こった「巡り合わせ」のように思えます。

 

過去と言う名の箱を開ける鍵は、時を経た今だからこそ、進むべき未来への道標になりうるかもしれない。そしていつの時代でも、願い、考え、想像するといった行為こそが、示された道標の先に向かって歩みだす力の源になるのではないでしょうか。

 

想いを馳せることの素晴らしさを、改めて感じうる物語に巡り合えた事に感謝します。

 

そしてまた、物語に溢れる人を愛するという神秘に胸をうたれた結果、自身のそんなめぐり逢いにも期待をしたくなるのでした。

 

 

レビュー